カテゴリー「恋愛」の4件の記事

2008年4月 6日 (日)

あみんの「待つわ」と石川ひとみの「まちぶせ」の恋愛感情

 「待つわ」という岡村孝子の歌を知っている方は、いるかと思います。
 二人組の女性でもう一人いて、ハーモニーを作っていましたが、その詞のことと、恋愛について考えてみたいと思います。
 要するに好きな男性が、自分(女性)に振り返るまで、待つというものです。好きな男性が、ほかの女性に振られる日まで、待つわ。というものです。そして、男性を自分のものにしたいという願望です。
 また、昔の歌謡曲で「まちぶせ」という、石川ひとみの歌があります。これも、好きな男性を振り向かせるために、その女性は、わざと気を向かせるために、いろいろなまちぶせをしていろいろなことをして気を引こうというものです。
 両方とも、大ヒットした歌なので、知っている方もいるでしょう。
 どちらにしろ、若いときの一途なもしくは、狂信的な女性心理を描いたもので、そう思っている女性で、将来も独身を貫く女性もあるかもしれない。でも男性心理としては、おそろしいの一言でしょう。
 NOならば、NOなので、そのまま突き進んだら、ストーカーになってしまいます。それは、女性でも男性でもです。
 心底思っていれば、相手も振り向くかといったら、駄目なものはだめだというのが、女性でも男性でも、本当でしょう。両方で、好意を持っていても親が認めない、不倫関係や立場上の何らかの障害となるものがある場合もあり、自分の思うようにはいかないのが、若いときの恋愛かもしれません。男性も女性もその人だけではありません。もっと良い人がいるかもしれないのです。
 だから、失恋というものは、時が解決してくれるもので、執念深く思っていても、どうにもならない場合のほうが、多いことを知るのも必要です。
 失恋だけではありません。人の人生は、人それぞれの悩みを抱えながら、皆が生きているのです。こんなことを言う資格はないかもしれませんが。でも、一度好きになった異性というものは、振られても、振っても、あとは幸せになって欲しいと思う方が、良いでしょう。
 明日は明日の風が吹くかもしれません。辛い夜が来たら、往年の女優ビビアン・リーの役スカーレット・オハラの映画「風と共に去りぬ」での台詞ではないですが、「明日のことは明日考えよう」と言って、その日は終わりにして、疲れ切った体を休めることも必要でしょう。
 これで、すべてが終わりのはずがないのです。終わったことは終わったこと。
すばらしい明日が待っていると考えて、眠りにつきましょう。
 あとは、時が、解決してくれます。

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2008年2月10日 (日)

尽くす女

今の若い女性で、自分の夫に惚れ尽くして旦那に尽くす女性というものはいない。
 私は、旦那に惚れてその旦那に尽くす女性というものがいるのではないかという、幻想にとらわれていたことがあった。
 ある人が言うには、子供がいるから勝ち組ではなく、旦那の収入の多いか少ないか、要するに多ければ勝ち組で、そういう経済的余裕がある、女性が、勝ち組なのだと言う人がいた。
 それは、まだ若い方の人である。
 また逆に、六十代か七十代くらいのおばあさんだが、子供がいて、夫という人は、アルコール依存症なのだと言う。でも本当に惚れぬいたから、河岸の市場で、10キロ、20キロの荷物を運び、夫と子供を食べさせたのだと言う。その人は、普通のおばあさんで、さらっとそう言うので、悔いなどない。旦那に尽くしあげたのである。
 また他のおばあさんは、これも尽くす話だが、旦那の疲れを取るために、全身のマッサージをしてあげるのだと言う。足も、マッサージしたために、その旦那の水虫の菌が、手に移ってしまうほど、尽くしたのだと言う。その人も尽くすと言う言葉を使わず、だって、旦那なんだから、当たり前のことでしょ。とはっきり言うのである。


「あげまん」という昔の、伊丹十三の監督をした映画がある。旦那やその男に、その男の手助け、(もちろん家庭内、女としての務め)その男が社会的成功を得るために、その男への助言と女として、その男へのできる限りのことをして、迷っている男を出世のために、導いてくれる女である。結局その男は、大銀行を追われてしまうが、でも、「あげまん」の宮本信子は、いいのよ、私が食べさせてあげる。と言って、幕になるわけだが、そんな女性がいると言うことは、ただの幻想には過ぎないと言うことは分かっていても、そんな女性「あげまん」がいたらなあ。と思うのはこの映画を見たからである。
もちろん、失業者の面倒を見てくれるということではなく、この女のために、尽くしてくれる女のために、もう一度働こうという気にさせてくれることが、そのような方向に持って言ってくれるのが「あげまん」の真髄である。

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2007年9月15日 (土)

昔は良かったというのは自己満足 ~元気を出して~

松任谷由実の歌は、大概が、若い女性の気を引くような旨い詞である。かつての恋愛を思い出し、昔を回顧するのである。
 そんなものなど忘れてしまえばよい。要するに昔を回顧して、自分に酔っているだけである。そんな事を言ったら、過去を振り返れば誰でも、一冊本が書ける。
 カクテルでも飲んで、バーテンダーに話しかけるような一人で来ている若い女性というのが、ショット・バーには必ずいる。寂しいから来ているのであって、松任谷由実の世界である。
 松任谷由実は、かつて荒井由実の頃は、自分の体験を歌にしていたのであるが、今では、結婚し、かつての夢物語は創れない。だから、サングラスをして、帽子を被って、喫茶店に行き、一人でお茶を飲み、若い女性のおしゃべりを注意深く聞いているのである。だから、今でも若い女性の心理を掴むことができる詞ができるわけで、そういう意味では、作品を創るというよりは、自分で取材して作り上げてしまう商売である。
 どちらにしろ、過去を振り返り、泣くことはあろうと、いつまでも泣いていてはどうしようもない。昔の過去にどっぷり浸かっていては、何もない。
  アルコールを飲むとそんな、愚痴も出てこようが、美空ひばりではないのだから、悲しい酒ばかりでは、気も滅入る。確かに世の中、気の滅入ることばかりではある。
 が、恋愛に敗れたなら、それでひとつの区切りであって、終わりではない。恋愛だけが人生でもない。20代というもには、必ず結婚願望なり、恋愛願望というものはある。
 あせる必要はない。30になるとオバサンになるとか40ではもう終わりだとか言うものでもない。50代で結婚する人もいる。
 逆に結婚して、子供ができても、実際に育児というものは、大変なものでもある。世の風潮で、玉の輿に乗ってセレヴになろうなどと愚かなことを考えるから、結婚に失敗するのでもある。結婚には忍耐は必要でもあるが、今はすぐに別れる者ばかりでもある。
 どうでもいいことだが、負け犬だと勝手に思い込んで、悲観するより、竹内まりやの「元気を出して」でも聴いたほうがよい。

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2007年2月11日 (日)

故宇野千代女史

後年のお婆さんになったときの風貌しか知らなかった。この作家、恋愛遍歴も凄い者で、なぜかというと、その若いときの写真を見ると、モノクロでありながら、物凄い美人なのである。まるで、映画女優のようである。こんな人に、自分から「あなたが、好きです」と言われて、良い気分のしない男があるわけがない。こうして、新婚の甘い生活が、4,5年続くわけだが、蜜月時代を過ぎると、もう終わりである。彼女自身、結婚生活と言うものに対して、それで終わりである。それ以上の我慢と言うものもしないし、男の方も飽きてくるわけである。
 だから自分自身、恋愛はしたが、世に言う結婚の努力なり、辛抱はしなかったわけで、普通の結婚生活は、送れなかったわけである。
 その繰り返しであって、長きに亘る結婚生活は、送れなかったわけである。
 別れてくれと言うと女史も、別れるわけで、それで全く問題が、お互いになかったわけである。

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